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Netflixオリジナルドラマ『宇宙を駆けるよだか』~クラス一の美女とブサイクが入れ替わる話~

 

 Netflixオリジナルドラマ『宇宙を駆けるよだか』を観ました。入れ替わりというSFチックな設定、ダークなヒューマンドラマ、俳優さんたちの演技、どれを取っても満点の一気見ドラマです。

 

あらすじ:

 優しい家族と美しい容姿に恵まれ、ずっと好きだった幼馴染からも告白され、幸せの絶頂にいたあゆみ。そんなあゆみはある日、同じクラスの冴えない少女・海根と入れ替わってしまう。恋人も母親も入れ替わりの話を信じてくれず、海根の容姿のせいで学校ではいじめられ、全てを失うあゆみ。元に戻る方法を探るが、海根はあゆみの身体を手に入れるために意図的に入れ替わりを行ったと言い、元に戻ることを拒否する。

 

 

 このドラマのテーマはずばり、「人の人生は見た目で決まるのか?」ということ。

 友達もおらず、母親にも邪険にされている海根は、不幸の原因を自分の容姿が悪いせいだと感じています。反対に、あゆみは容姿に恵まれているからこそ、家族は優しく、友達も大勢いて、イケメンな恋人もいる。だから海根はあゆみの身体を手に入れて、幸福な人生を得ようとしました。

 結論から言うと、海根の人生は好転しません。後付けで手に入れた容姿では、性格までは変えられないからです。

 反対にあゆみは、持ち前の朗らかな性格で、海根の容姿のままでも少しずつ友達を増やしていきます。

 

 このドラマの主張としては、人は見た目ではなく中身が重要なんだ、ということかもしれません。しかし私はむしろ、容姿が人の性格に与える影響の大きさについて思いを巡らせてしまいました。

 人当たりがよく、人を疑うということを知らないあゆみと、自分に向けられた好意をもはねつけてしまう海根。二人の性格は本当に容姿とは関係がないのでしょうか。

 この答えとなりそうなあゆみのセリフがあります。海根の姿になってしばらく経った頃、すれ違いざまに人から容姿を馬鹿にされることに驚くあゆみ。「今まで人の容姿の優劣なんて考えたことなかった」と、初めて海根の容姿が劣っていることに気が付きます。

 このセリフにあゆみと海根の生きる姿勢の違いが表れている気がします。人に馬鹿にされることなく生きてきたあゆみだからこそ、人に優劣をつけず、分け隔てなく接することができる。一方、人にさんざん蔑まれてきた海根は、他人との関係を上か下かでしか考えることができない。人の性格は色々な環境によって形成されると思いますが、少なくとも海根の性格に醜い容姿が影響を与えているのは明白です。

 

 だから、もしこのドラマの結末が「人は見た目じゃなくて中身だよね、人に優しくすればブスでもいい人生が送れるよ」というような安易なものであれば、興ざめしたかもしれません。

 けれど、あゆみたちは海根の過去を理解しようとし、その辛さに寄り添った上で、これからの海根の人生を変えようとします。今までの海根は誰も味方がいなくて孤独だったかもしれない、でもこれからは自分たちがそばにいるから一人じゃないよ、だから変われるよと。誰も海根の過去を責めず、海根の中身を否定しません。

 そうすることができたのは、あゆみが入れ替わりによって海根の辛さを経験することができたからです。「入れ替わり」という設定がきちんと結末に活きているのです。この点でもこのドラマはしっかり作られているなぁと思いました。

 

 また、上にも書きましたが、このドラマ、俳優さんたちの演技がとっても上手いんです。主演4人は作中で何度か入れ替わりを経験するのですが、当然演じる俳優さんたちはその度に役柄が変わります。ここで演技にちょっとでも粗があれば、演技の方に意識が逸れてしまい、ストーリーが頭に入ってこないなんてこともありそうです。しかし、主演4人は全く違和感を感じさせず、あたかも本当に中身が入れ替わったと感じさせる迫真の演技を見せています。俳優さんたちの演技を楽しむのも、このドラマの醍醐味です。

 

 以上、Netflixオリジナルドラマ『宇宙を駆けるよだか』のレビューでした。

 SFが好き、ダークなヒューマンドラマが好き、恋愛ドラマが好きな方はぜひ見てみてください!

 

 

『群像』2021年2月号 注目作品ランキング

 

 今年の読書目標の一つとして、「文芸誌を毎月読む」というのを掲げました。文芸誌には最新の文芸作品が掲載されることから、文芸界のトレンドをいち早く知れること、新しい作家・作品を知るきっかけになること、各文芸誌の特色を掴めること、などがその理由です。

 本当は全文芸誌を制覇したいところですが、そうするとせっかく気になる作家を見つけても、その作家の本を読む時間がなくなってしまうので、とりあえずのところ『群像』と『文學界』を毎月読んでいこうと思います。

 この記事では、『群像』2月号の中で、私が個人的に気になる作品をランキング形式で紹介します。今月は文芸作品の中から3作品をピックアップしました。

 

 

1位 田中兆子『地球より重くない』

 これめっっっっっっっっっっちゃ良かった!!!! 「っ」をこれだけつけたくなるくらい良かった!!!!

 通夜の夜に亡き夫の仕事部屋を訪れた環さんは謎の箱を見つける。箱の中には本のページを切り取った紙が何枚も入っていた。文章から本のタイトルを推理していくうちに、環さんは楽しくなってくる。夫は自分が死んだ後も環さんが泣かないで済むように、小泉八雲の逸話*を真似て、環さん専用のカルタを遺してくれたのだった。

 この作品の上手いところは、ラスト数行での見事なまでの伏線回収だと思います。前半部分では夫の死生観が語られるのですが、芥川龍之介をよく読んでいたという彼は、自殺は悪ではない、命は別に偉大なものではないと、なかなか斜に構えた考え方をしています。妻の環さんにも、自分が死んでもしおらしく泣くような真似はするなと幾度も忠告していました。

 これに関して、環さんの心情はほとんど描かれません。ただその言動から、大人しい女性だな、過去に何かあったのかな、ということが推測されるだけです。

 ところが最後の数行で、環さんの過去と、夫の今までの言動がすべてつながるのです。

 実は環さんの家族は過去に自殺をしていたこと。父親の暴力と母親の病気が子どもに遺伝するのが怖くて、夫との間には子を作らなかったこと。そして夫の今までの言動はたぶん、環さんの家族に関する不安感や孤独感を慰めようとしてくれていたのだろうということ。葬式で泣くなと言ったのは、環さんに笑っていてほしかったから。そうしたことが唐突に、不器用に、そっと包みこむような優しさで読者の前に展開されてくる。この作品の最初から最後まで貫いているのは、夫の優しさだけだったのです。それに気づいたとき、なんて優しい物語なのだろうと、自然と涙がこみ上げてきました。

 言ってみれば、最強のギャップ萌えですよね。あんな皮肉の裏で、あんな高踏的な態度の裏で、この人は環さんのことが死ぬほど大好きだったんだなって。タイトルの『地球より重くない』は命の重さのことですが、これさえも逆説的に、命は地球と比べるほどの重さがあるものだと読めます。ああ、いいなあ。素敵な人、素敵な物語だなあ。

 

 

2位 沼田真佑『遡』

 この文体、いいですねえ~。「くせ者」とでも言いたくなるような文体に引き込まれました。言葉の使い方が絶妙にずれている、というのでしょうか。こういう時にはこの表現を使うだろう、というところから2,3歩ずれたところにある言葉を選んで持ってきている感じ。そこに自分と作者の感覚との隔たりが見られて面白かったです。この人の世界観をもっと知りたくなりました。

 

 

3位 長嶋有『願いのコリブリ』 

 センター試験の現代文に出てきそう(センター試験ってもう古い?)。作中で交わされるやり取りから今までにない考え方を得られたので選びました。

 愛用の自転車の盗まれた「私」は、次に購入する自転車を物色するのですが、なかなかしっくりとくるものを見つけられません。「私」が「センスが衰えたか」と自嘲するのに対し、夫は「衰えたっていうか、満ちたんじゃない?」と返します。

 「センスが満ちる」って面白い表現ですよね。夫の話をまとめると、今までにもう好きなものと出会い尽くしてきたから、今さら新しいものを発見する必要がなくなった状態のこと、かな。

 私はよく昔を思い返して「あの頃は今よりもっと感受性が高かった、年々感性が死んでいく気がする」という話をするのですが、もしかしたら私の場合も、ある部分の感性はすでに満ちてしまっていて、今さら琴線を震わす必要がなくなっただけかもしれません。……ポジティブすぎるでしょうか。。

 

 

群像 2021年 02 月号 [雑誌]

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  • 発売日: 2021/01/07
  • メディア: 雑誌
 

 ↑このデザインいいよね。

 

【書評】芥川賞候補作! 宇佐見りん『推し、燃ゆ』レビュー ※ネタバレなし

今回は第164回芥川賞候補作の一つ、『推し、燃ゆ』をネタバレなしでレビューしていきます!

 

宇佐見りん『推し、燃ゆ』

 

推し、燃ゆ

推し、燃ゆ

 

 

あらすじ

ある日、推しが彼女を殴って炎上した。実生活では何をやっても上手くいかず、推しだけを背骨にして生きてきたあかり。そんな推しが燃えてしまったことで、あかりの生活は少しずつかみ合わなくなっていく。

 

 

 まず驚いたのは作者の年齢でした。1999年生まれの21歳、現役大学生。いやー、ついに年下の作家が出てきてしまったか……。まだ何者にもなれていない自分と比較して何だかちょっと複雑な気持ち。でもでも、キャッチーなタイトルと芥川賞候補作という話題性に惹かれて、つい手に取ってしまいました。

 読んでみると、文章の激流に圧倒されました。読点が少ないからか、読み手に息をつく隙を与えてくれない! 先へ先へと乗せられるまま読み続けて、気付けば結末まで運ばれていた感じ。主人公・あかりは冒頭で何らかの障害を持っていることがほのめかされるのですが、「普通」ではない彼女が目の前の出来事を処理するのにあっぷあっぷしている様子が、この隙のない一人称語りの文章から伝わってきます。

 

 

「推し」を解釈すること

 あかりは推しがテレビで発した言葉やコンサートでの立ち振るまいをすべてメモに取り、それを元に推しを "解釈" することを喜びとしています。推し専用のブログまで立ち上げて、上手くいかない実生活とは裏腹に、ブログの固定ファンも大勢いるようす。あかりは推しを解釈することで自分を知ることができるのだと語っています。

 私がひやっとしたのは、推しを解釈することを「推しを取り込む」と表現している箇所。なんだこの怖い表現は。推しを取り込むことで見えてくる自分って、本当に自分なんだろうか? そうまでして否定したい自分って、現実って、なんなんだろう。私には、あかりが推しを解釈することで、推しに成り代わって現実の自分を上書きしようとしているように見えました。

 

私の推しは誰か

 ここまで考えたとき、「あれ、これって私のことかもしれない」と思ったんです。私は特定のアイドルを推しているわけではないし、この人に人生を捧げる! みたいな熱を持ったことも今までありません。だけど、本を読んで作家のことを知りたい、作品を解釈して自分のものにしたい、という欲求は、現在進行形で抱き続けています。あれ? 私の推しって作家じゃん!

 あかりの言う「推しを通して自分を知る」という意味を、やっと自分事として捉えられました。私も本を読んで、作品を解釈して、この作家はこんな人なんだろうと想像し、知ることができた喜びに浸る(そしてブログも書いている笑)。推しを取り込み、自分を知る手がかりとして利用しているのです。

 推しを通して自分を知ること。推しを通して自分を語ること。推しを媒介にして人とつながり、生きるエネルギーを得、時にほどよく現実逃避しながら、私は生きているのだなあと思いました。

 

 

誰しも心に推しを飼っている

 私たちは、というか、多くの趣味人は、誰でも推しの一人や二人(一つや二つ?)いるのではないでしょうか。推しを推すことは生きがいです。だけど、推しはゴールであってはいけないのです。推しを推しながら、自分の核を見つけ、自分は自分として生きていかねばなりません。あかりの推し活がどうなったか、それは本書を読んでみてのお楽しみ。ただ、私はあかりが一歩前に進んだような気がしました。

 

 

今日のまとめ

  • 宇佐見りん、推せる
  • 推し作家って年齢とともに移りかわっていくよね
  • あなたの推しは誰ですか?

 

以上。

 

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【書評】綿矢りさ『意識のリボン』

 

綿矢りさ『意識のリボン』 

意識のリボン (集英社文庫)

意識のリボン (集英社文庫)

 

 

 私から見た綿谷りさという作家は、頭と体が繋がっていない未知の生き物だ。頭だけ見ると私と同じ人間で、安心して近寄っていくのに、ふと体を見れば大蛇。そんな理解しがたさがある。物語に共感しながら読み進めていくと、主人公がある瞬間から私とは全く相容れない人物として浮かび上がってくる。その瞬間、「この人は私の気持ちを分かってくれない!」という反発心を抱くと同時に、深く傷ついてしまう。だから私は綿谷りさという作家のことを手放しに好きだとは言えなかった。そんな未知の生物・綿谷りさの輪郭を初めて認識できたのが、この『意識のリボン』という短編集だった。

『意識のリボン』は小説という形式をとってはいるものの、「これは綿谷りさ本人のことではないか」と思われる箇所がいくつか登場する。そのうちのいくつかは物語というよりも、語り手が自分の気持ちを整理するためだけに書いたかのような文章だ(タイトル通り「意識のリボン」のような語り口である)。これまで読んだ綿谷りさの "小説" からは見えてこなかった、綿谷りさ自身の輪郭が見え隠れする、ある意味生々しい短編集だった。

 

 綿谷りさに「裏切られた」と感じる理由の一つに、今まで一人きりで生きてきた主人公が、急に愛する(愛せる)人に出会い、他人と共に生きてゆく決心をするところにある。前半のぼっち満喫パートがリアルなぶん、後半の気持ちの変化のスピード感に置いて行かれたような気分になってしまうのだ。結局この人も恋愛至上主義なんだ、という冷めた気持ちを抱いてしまうのもそのせいである。

 けれどもそこで綿谷りさを「恋愛脳の作家」と軽蔑することはできなかった。ただ愛だ恋だと祭り上げるだけの作家とは違う、孤独への深い共感と恐れが文章からにじみ出ているからだ。でなければ「裏切られた」だの「分かってくれない」だのという、拗ねと甘えが混じったような感情を読者に抱かせることなどできはしない。これほど読者を自分の方へ引きつけられるのも、悔しいが綿谷りさの才能なのだと思う。

 

 話を戻すが、私は『意識のリボン』を読んで、綿谷りさの頭と体の繋ぎ目が見えた気がした。本書に収録されている「こたつのUFO」や「履歴のない女」では、変化を恐れながらも、常に新しい自分に変化し続けたい前向きな心持ちが描かれる。変化を恐れる背景には、あまりにもスムーズに変わってしまう自分への戸惑いと罪悪感がある。それから、これまでの人生で抱いてきた感情や習慣をあっさりと忘れてしまうことへの口惜しさ。私自身、就職を機に実家を出た際には同じような戸惑いを感じたために、主人公たちの気持ちがダイレクトに響いた。そうした戸惑いを、綿谷りさはこう振り払う。

 

「臆病になっちゃいけないね。大切なものを守りながらも、いろんな景色が見たい」

 

 綿谷りさの頭と体を繋いでいたもの、それはこの勇み立つような前向きさだったのだ。そしてこれは私自身が持つべき心持ちでもあった。変わることではなく、変われないことを恐れ、そして拗ねていた自分。綿谷りさという作家を知る中で、自分では気付かなかった弱さに気付くことができた。私が自分の生き方を好きだと思えた時こそ、綿谷りさを素直に好きだと言えるのかもしれない。

 

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2020年おもしろかった本 Best10

 

タイトルでBEST10と掲げたものの、順位付けが難しかったので読了順に紹介していくよ!

 

 

1. 夏目漱石文鳥

文鳥・夢十夜 (新潮文庫)
 

 

 これはシンプルに美しかった。語り手はもらってきた文鳥を最後に死なせてしまうんだけど、その様に昔の女の面影を重ねて終わる締め方が見事だった。文鳥の世話をする前半場面の微笑ましさから一転して、物語が空恐ろしさと残酷性を帯びる瞬間がたまらない。これぞ純文学って感じ。

 


2. 三島由紀夫仮面の告白

仮面の告白 (新潮文庫)
 

 

 これも文学的にすごい!!っていう意味合いでBest10入り。性的に不能な主人公の苦悩を描いた作品。

 語りたいことは多々あるんだけど、一つだけ選ぶとするなら、主人公の思い人である園子が谷崎潤一郎の『蓼食う虫』を読んでいる場面。主人公にとって純愛の象徴である園子に、よりにもよって完全なる性愛の世界を描いた『蓼食う虫』を読ませる周到さにぞくぞくした。

 


3. コレットシェリ

シェリ (岩波文庫)

シェリ (岩波文庫)

  • 作者:コレット
  • 発売日: 1994/03/16
  • メディア: 文庫
 

 

 あらすじ的には中年女性と若い男の恋の話なんだけど。私はむしろここで描かれている女同士の友情の方に惹かれた。主人公とその友人は決して互いを気遣い合うような関係じゃない。会えば互いの身なりを胸の内で評価し合うし、失恋で弱ってるところなんて見せたくない。「女同士ってドロドロしてるよね」のドロドロを体現したような友達関係。なんだけど、互いに張り合うことで刺激がもらえる、だから彼女はやっぱり友達だ、と主人公は言い切るの! ここがすごく良くて!! 私は常識を打破るような作品が好きなんだけど、『シェリ』は友情の常識を覆してくれた作品だった。

 

 

4. 安部公房砂の女

砂の女 (新潮文庫)

砂の女 (新潮文庫)

 

 

 ストーリーとしても面白いし、文学としても面白かった。主人公が砂でできたアリ地獄みたいな穴の中に閉じ込められて、脱出しようともがく話。

 以下ネタバレになるけど、──主人公は最後には砂からの脱出を諦めてしまうのね。諦めたっていうよりも、別にここの生活も悪くないかって納得しちゃう。冒頭で砂の特性について(砂にはどんな生き物も適応できないとか何とか)書かれているんだけど、この話を読むと、人間の特性はどんな環境にも適応してしまうことなんだと思わされる。それを世間では妥協と呼ぶ場合もあるけれど、私は前向きに「適応」だと言いたい。少なくとも『砂の女』からはそういった印象を受けた。

 


5. 古井由吉『杳子』

杳子・妻隠(つまごみ) (新潮文庫)

杳子・妻隠(つまごみ) (新潮文庫)

  • 作者:古井 由吉
  • 発売日: 1979/12/27
  • メディア: 文庫
 

 

 本当の文学とはこういうものなんだ、と目を開かされる読書体験だった。とにかく描写が密で、あらゆる感覚、感情を余すところなく文章で表現していて。本を読む時、私はつい内容(どんなテーマを扱っているとか、話の筋がどうだとか)にばかり目を向けがちだった。でも『杳子』を読むと、文学が文章の芸術だってことを思い出して、言いようのない高揚が生まれて。今さらすぎるけど、文学でやれることの幅の広さに感動した。そのきっかけをくれた作品。

 


6. 遠藤周作『沈黙』

沈黙(新潮文庫)

沈黙(新潮文庫)

 

 

 単純に面白い!! 一気読みでした。日本におけるキリスト教がどうだとか、信仰がどうだとか、そういうのは正直あんまり興味がなくて。でもこの作品はストーリーを読ませる技術が高くて、ページをめくる手が止まらないランキングなら三番の指には入ると思う。

 


7. 島崎藤村『春』

春 (新潮文庫)

春 (新潮文庫)

 

 

 入れようか迷ったんだけどね。藤村は今年好きになった作家でもあるし、好きになったきっかけがこの『春』だったから。

 青年時代の心の動揺と陰を描きつつ、ただ憂鬱に酔うのではなくて、生きようという強い意志が根っこにある作品。似たような作品でも、佐藤春夫の『田園の憂鬱』とは土壌が違うよね。私は田園の方に共感するタイプだから、藤村のことは興味深い観察対象みたいな感じで読んでる。来年は『夜明け前』(全4巻もある…)を読むのが目標です。

 


8. 小野不由美『風の万里 黎明の空』

 今年一番ハマったシリーズものといえば、小野不由美の「十二国記」シリーズ! その中でも一番面白かった作品が上記。

 異なる境遇の女の子3人が、それぞれの葛藤を抱えて闘うところが最高に好き! 気の強い女の子が大好きなので、読んでいてとっても気持ちが良かった。

 


9. 山内マリコ『ここは退屈迎えにきて』

ここは退屈迎えに来て

ここは退屈迎えに来て

 

 

 どこに行っても居場所を見つけられない孤独感を、上京者と結びつけて描く物語に共感した。今年一番ハマった作家と言っても過言ではない。

 


10. 綿谷りさ『私をくいとめて』

私をくいとめて (朝日文庫)

私をくいとめて (朝日文庫)

 

 

 今年ハマった綿谷りさ作品の中でも一番心に刺さった作品を選んだ。

 綿谷りさは描写によって主人公の特徴を浮き彫りにするのが上手い作家で、『蹴りたい背中』では蜷川という男子の名前を「にな川」とひらがなで書くことで、主人公がまだ幼い女子高生であることを強調していた。『私をくいとめて』は脳内のイマジナリーフレンドと会話をしてしまうほど孤独な日常に慣れてしまったアラサー独身女の生活を描いた作品。この作品でも主人公の目線で描写されるものを日常の半径3メートルくらいのものに絞り、湯がわいたとか道路の水たまりがどうとか、どうでもいいことばかりを選んで描くことで、変化の少ない主人公の日常を際立たせている。

 

 

 

 以上! 2020年は量的には例年の3分の2程度しか読めなかったけれど、質的にはまあまあいい本に出会えたと思う。

 来年もいい本に出会えますように!!

 

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