ねこぶんがく

文芸好きが本や映画の話をするブログ。

【読書】一方通行の友情? 奥田亜希子『クレイジー・フォー・ラビット』

 

 

奥田亜希子『クレイジー・フォー・ラビット』

 

 

あらすじ

 人の隠し事のにおいを感じ取ることができる愛衣。クラスメイトに本音を言えず糾弾された小学生時代、独りぼっちにならないために周りに合わせて生きていた中学生時代――。”友だち”との関係の変化を描いた連作短編集。

 

 

感想

 柚木麻子さんが書かれている帯に惹かれて手に取った本です。

「身近な彼女に片思いしている全ての女性に」

 この「片思い」は恋愛感情ではなく、友だちへの一方的な感情です。友人関係って思いのほか対等ではないし、自分はあの子と仲良くなりたいと思っていても、向こうはそれほどこちらを気にしていなかったり……。”片思い” 状態の友人関係って、誰しも身に覚えがあるんじゃないでしょうか。

 

 本書の中に次のような言葉が出てきます。

友だちがもっと自発的に、自分のことを思い出したり考えたりしてくれたらいいのに。 

  この感情、わかるなぁ。

 

 最近シスターフッドが流行っているじゃないですか。シスターフッドというのは、女性同士の友情のこと。まるで姉妹みたいに仲の良い女友達のことを指します。

 かくいう私もシスターフッド小説が大好きなんですが、じゃあ何でも話せる姉妹みたいな女友だちがいるかと言われると、残念ながらいないと言わざるを得ません。友だちの中でも、この子には気を遣うなぁとか、この子の前ではカッコつけちゃうなぁとか、何かしら「完璧な友だち」と言うには惜しい要素が一つはあるものです。

 

 では、そんな友だちは本当の友だちとは言えないのでしょうか。

 本書の主人公・愛衣は、色々な人と関わる中で考えを変化させつつも、最後には虚勢や嘘が含まれた友人関係であっても「友だち」であると結論づけます。

 仲良くなりたいからこそ時には嘘をついてしまうし、恰好つけたいときもある。けれど、その「仲良くなりたい」という気持ちに嘘はないのだから。

 物語に出てくるような完璧な友だちじゃなくても、愛衣にとって、また私にとって、周りの友人たちはまぎれもなく「友だち」なんですよね。

 

 最近よく思うのですが、趣味の話で盛り上がる友だちと、悩みを聞いてほしい友だちと、暇なときに何となく話したくなる友だちと、それぞれ違うんですよね。全てを兼ねた友だちなんていないなって。

友情は、好意と思惑とタイミングが重なる場所に、日々の努力で咲かせるものなのだ。

 シスターフッド小説に出てくるような、いつなんどきも一緒にいたい友だちなんていないけれど、友だちって案外、利己的で自由なものなのかもしれないですね。無償ではありえない、ギブアンドテイクでしか成り立たないものというか。けれどその何にも縛られない無責任な関係性が、友情の真価のような気がします。

 

 

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