ねこぶんがく

文芸好きが本や映画の話をするブログ。

【本レビュー】白河三兎『私を知らないで』

※2016年に書いた記事を再掲載しています

 

 

私を知らないで』(集英社文庫

作:白河三兎

私を知らないで (集英社文庫)

私を知らないで (集英社文庫)

  • 作者:白河 三兎
  • 発売日: 2012/10/19
  • メディア: 文庫
 

 

あらすじ

父が転勤族で転校を繰り返す慎平は、中二の夏に転校した学校で「キヨコ」と出会う。

いつも独りぼっちなのに凛としているキヨコは謎めいた存在で、クラスでも浮いている。

そこへ高野というもう一人の転校生がやってきて、二人はキヨコの謎を解き明かすため、彼女を尾行することに。

「私を知らないで」と言う彼女の正体は?



感想

タイトルに惹かれて購入した本。

中学生同士のいざこざがテーマなのかと思って読んだら大間違い、予想以上に重い話でした。

主人公の慎平はことなかれ主義だけど、その分鋭い観察眼を持っていて、彼を通して登場人物たちの十人十色の「生き方」を見せられた感じです。

誰の生き方が正解、というのはないけれど、私が惹かれたのはやはりキヨコの生き方でした。

人生の重みを知っている彼女の言動一つ一つが自分への戒めとして響きます。

ラストの解決方法は、うーん、これでよかったのか? という印象。

しかし「生きる」ということを考えさせられる点では最高の本です。










<ここからネタバレ注意>





白河三兎さんは初読みです。

プロローグの印象から、ちょっと苦手な文章かも……と思ったのですが、案外すんなり入り込めました。

 

何の先入観もなく、何の心構えもなく読んだのですが、めちゃくちゃ重かった……。

もちろんいい意味の「重さ」です。

慎平の中学生とは思えない言動も、どこか非現実的な「キヨコ」も、漫画のヒーローのような高野も、まさか読み終わってからこんなに心に残るとは。

それだけ人物の描写が優れていたということでしょう。



はじめ、「キヨコ」はただ芯の強い女の子なのだろうと思って読んでいました。

あまりにも自分を持っている子は、特に女子だと、教室では嫌われやすいですよね。

だからこれもそういう話なのかと思ったのですが、読んだあと、キヨコの抱えているものの大きさに愕然としてしまいました。

私の中では、キヨコはいつも凛としていて、他人の干渉を一切許さない強い子だったんですね。

たとえ貧乏だろうが、慎平を通してみるキヨコに劣等感なんて微塵もなくて。

改めて考えてみると、劣等感が一切ないなんてありえないことなのに、「キヨコ」ならあり得るって思っちゃったんです。

なんだか自分が情けない。

これじゃあ彼女の周りにいるクラスメイトと何も変わらないですね。



ネタバレなしの感想にも書いた通り、この本では十人十色の「生き方」が示されています。

 

まず主人公の慎平。

彼はことなかれ主義で、どうせすぐ引っ越すからとその場しのぎの人間関係を築きます。

ある意味ではとっても賢い生き方ですが、同時に寂しい生き方でもある。

世界中のどこにも「故郷」と言える場所はないし、引っ越してもずっと友達でいる人もいない。

それはちょっと、私は嫌かな。

そういえば、キヨコは慎平と高野をつなぐ役割も果たしてましたね。

キヨコが高野と付き合ってる限り、黒田家がどこに引っ越そうが二人は連絡を取り合うわけで、自然と慎平と高野も一生ものの友達というわけですね。

すごい。

 

次にキヨコの生き方。

せっかく生まれてきたんだから、何でも経験してみたい。

物は消耗品ではなく、高くても長持ちするものを。

人生を無駄なく生きるとはまさにキヨコのこと。

これぞ本当に賢い生き方だなぁと思いました。

特にお金と物に関する価値観は、キヨコをとっても尊敬してます。

高くても長持ちするものを、と選んできた結果、身に着けるものはすべて一流品なのだから、これ以上に効率的でオシャレな考え方はないですよね。

私はこれとはまるで正反対なので、深く深く反省したいところです。

 

高野はおそらく、「俺はこんな風に生きるor生きている」という自覚がないタイプではないでしょうか。

その場その場を強い信念と情熱を持って生きるタイプ。

彼の場合、それに行動力がともなうのがカッコいいですよね。

 

教室のボス・ミータンも私結構好きです。

彼女も高野と同じく、「こういう風に生きる」が無自覚なタイプ。

クラス全員でキヨコや慎平を無視するなど、意地悪な面はあるけれど、陸上にかける情熱は純粋そのもの。

そのギャップが素敵です。

信念がないというと聞こえは悪いけれど、逆に言うとこういう人の方が感情に身を任せて行動できるので、頭で考えて動くより説得力がある場合があるんですよね。

中途半端に脳みそ動かすより、いっそこの方が気持ちがいいのも確かです。

 

一番怖いのはアヤですね!

アヤはキヨコとはまた違ったしたたかさを持っています。

決して表舞台には出ることなく、首尾一貫して裏方に徹するというのもなかなかできることではありません。

本当に慎平くんの「逃した魚は大き」かった。

最後の最後まで陰で暗躍し続けたところもよかったです。



最後に、この本で一番心に残った言葉があって。

それは秘密を打ち明けた高野に対して慎平が言った言葉。

 

「命は軽いんだ。自分の命の重さを決めるのは他人だ。僕は高野の命を重くする一人だ」

 

これを聞いたとき、何だか生きる気力が湧いてきたんですよね。

自分にも誰かの命を重くする力があるのか、って。

同時に、私の命を重くしている人は誰だろう、って。

 

愛してくれる人が誰もいなければ、命の重さはゼロです。

でも、「あなたがいなくなったら嫌だ」と思ってくれる人がいるぶんだけ、命は重くなるんです。

素敵な考え方だなって思いませんか。

優しい気持ちが湧いてきませんか。

【本レビュー】ウェルズ『通い猫アルフィーの奇跡』

※2015年に書いた記事を再掲載しています

 

 

小説『通い猫アルフィーの奇跡』(ハーパーBOOKS)

原題:Alfie the Doorstep Cat

 

作:レイチェル・ウェルズ

訳:中西和美

通い猫アルフィーの奇跡 (ハーパーBOOKS)
 



あらすじ:

飼い猫として幸福な生活を送っていたアルフィーは、飼い主の死により野良猫になることを余儀なくされる。

しかし愛情に飢えた野良猫暮らしは長く続かず、アルフィーは通い猫になることを決意した。

四軒の家に通いながら愛情をもらい、また与える生活。

そこでアルフィーが起こした奇跡とは。

 



 

感想:

 

年の瀬にとてもいい本を読んだ!

 

アルフィーが通う4軒の家にはそれぞれ不足を抱えた人々が住んでいて、アルフィーもまた人間の愛情を求めている。

 

はじめは生きるために通っていたのが、いつの間にか人間たちに愛着が芽生えていく過程がよかった。

 

生きるために必要なのは思いやりで、思いやりは他者がいないと生まれない。












<ネタバレ注意>














いやー、年の瀬にいい本に出合いました。

 

全英絶賛という帯の文句だけあって、今年読んだ本の中でもベスト10には入るくらい面白かったです。




アルフィーが通う家の人々は、みんな何か問題を抱えています。

 

離婚の喪失感だったり、孤独だったり、郷愁だったり、育児疲れだったり。

 

みんな日々の暮らしの中に小さな揺らぎに動揺し、助けを求めているんですよね。

 

その揺らぎの間から忍び込んで活躍するのが、通い猫のアルフィーです。

 

アルフィー自身も元の飼い主とお姉さん猫を失った孤独感に苛まれており、人間の愛情を求めています。




はじめは生きていくための手段として通い猫になる道を選んだのに、四軒の家に通ううちに愛着が芽生えていく、この過程があったかかったです。

 

人間には猫のぬくもりが必要で、猫もまた人間の手を借りなければ生きていけない。




「苦難を乗り越えるためにいちばん肝心なのは思いやりなんだ。だれにとっても」(本文より)




この言葉にぐっときました。

 

思いやりは他者がいなければ生まれない。

 

何でもかんでも一人でやれると思いがちだった私は、他者とのかかわり合いの大切さに気付かされました。




野良猫になるときに何もかも失ったと思っていたアルフィーには、愛という宝物があったんですね。

 

その愛は前の飼い主とお姉さん猫にもらったものです。

 

アルフィーはその愛をみんなに分け与えることで、自分もまた新たな愛情を得ていたんですね。




何かを成し遂げるのに他者の力を借りないことは絶対ないと思います。

 

さまざまな人の助けがあってこそ今の自分がある、という気持ちは常に忘れないようにしたいものです。

 

そうすれば私も見ず知らずに人にだって思いやりを持てるはずだから。






それからこの作品を通して、人間心が不安定なときほど何かにすがりたくなって、誤った判断をしてしまいがちなんだと思いました。

 

クレアとジョナサンの例がそれです。

 

それぞれ不安や孤独から逃れるために、必死になって目の前のものにしがみつこうとしていました。

 

目の前のものしか見えていないことに気が付かずに。

 

これってとっても恐ろしいことだと思います。

 

自分がその状態に陥ってるときは絶対に気が付けないから、なおさら。

 

そういうときにふと立ち止まって、まわりを眺めてみることができればいいんですけど、これがなかなかうまくいかない。

 

ここでも他者の力が必要だなぁと思いました。

【本レビュー】万城目学『かのこちゃんとマドレーヌ夫人』ネタバレレビュー

 ※2015年に書いた記事を再掲載しています

 

 

かのこちゃんとマドレーヌ夫人

作:万城目学

 

かのこちゃんとマドレーヌ夫人 (角川文庫)

かのこちゃんとマドレーヌ夫人 (角川文庫)

  • 作者:万城目 学
  • 発売日: 2013/01/25
  • メディア: 文庫
 

 

あらすじ:

好奇心旺盛な小学1年生・かのこちゃんと、気高いアカトラ猫・マドレーヌ夫人の物語。

ある日マドレーヌは、夫の玄三郎(犬)から猫股の話を聞く。

お昼寝から目覚めたマドレーヌは、しっぽを見て愕然とした――。

一方かのこちゃんは、早朝の教室で両の親指を鼻に突っ込み、残りの指をひらひらさせていたすずちゃんと仲良くなりたくてたまらない。

しかしすずちゃんはかのこちゃんを避けているようで……。





(※以下ネタバレ注意)




今回は再読本です。

 

最近再読にハマっておりまして、なかなか新しい本に手を出せないでいます。

この『かのこちゃんとマドレーヌ夫人』も、初読は確か高校2年生のはじめくらいだったと思います。

本棚の背表紙を眺めていてふと目についたので、思い切って再読しちゃいました。



何度言われても親指しゃぶりが直らなかったかのこちゃんが、ふやけた親指をマドレーヌに噛まれたことをきっかけに「知恵が啓かれ」る。

二人の物語はすでにこのときから密接に関わりあっていたのでしょう。



マドレーヌは朝、近所の空き地で行われる「朝の集会」に顔を出すのが日課です。

仲間の猫たちとともに、他の猫の噂話や人間批判に興じます。

曰く、「テレビの形が箱型から薄っぺらいのに変わったせいで、お気に入りの場所がなくなった」……等々。

私も近所で猫の集会をよく見かけますが、やつらの間ではこんな話が交わされているのかと思うと楽しいです。

 

個人的にツボだったのは、集会メンバーの三毛猫の名前が「ミケランジェロ」だってこと!

三毛だからミケランジェロって、なかなか思いつかない気がするんですが(笑)



そうそう、猫のマドレーヌの夫は、かのこちゃんちの飼い犬、玄三郎さんです。

種族を超えて愛し合う2人(2匹)にはじめは渋い反応を示す猫たちでしたが、マドレーヌの堂々とした口ぶりを見て黙り込んでしまいます。



“「ち、ちょっと待って、相手は犬よ?」

「どうして? お互い言葉が通じるんだから、別にかまわないと思うけど」

「かまわないって……だって、別の種よ。子どももできない」

(略)

「ええ、もちろん。でも、お互いが望むなら、いっしょに暮してもいいでしょう」”



最後のマドレーヌ夫人の言葉、もっともだなぁと思います。

同時に近年何かと話題になっている同性婚問題がとっさに頭に浮かびました。

私は容認派ですが、その理由は上記のマドレーヌ夫人の言葉で十分でしょう。

「一緒にいたいからそうする」ことに、どうして赤の他人がわざわざNOを突きつける必要があるのかと私は思います。

男女の夫婦でさえ近頃は子どもを望まない夫婦も増えているというのに、子どもができないからという理由で禁止するのも、なんかズレている気がしてしまうんですよね。

それこそ、女は子どもを産むために存在してるって言ってるようなもんじゃないですか。

こればっかりは個人の考えなので何とも言えませんけど。



一方かのこちゃんの方もかなりユニークな女の子でありまして。

いや、友達のすずちゃんも負けないくらいユニークなのですが、この二人の会話がとっても面白いんですよね。

だって、仲良くなったきっかけがウ○コ柱って……!

さすが小学1年生、下品を下品と思わない言動。

なんかもう、本当に毎日が楽しそう。うらやましいです。

 

最後、すずちゃんが転校してしまうとき、私も泣きそうになってしまいました。

子どもは感受性豊かですから、悲しい・寂しいという気持ちを何倍も大きく感じてしまうと思うんですね。

理屈なんて考えずに感情をそのまま爆発させられるのは、子どもの特権です。

なんだかこれもちょっとうらやましい。



でもやっぱり、一番心に残ったのはマドレーヌ夫人の冒険かなぁ。

一度目も、二度目も。

 

猫には猫の、犬には犬の伝達手段がある。

犬は吠えることで、町中に言葉を伝えることができるんですね。

玄三郎さんが最後の力を振り絞って、町中の犬に伝えたこと。

「マドレーヌ」というエールに、胸が熱くなります。

間違いなく、この本の中で一番大好きなシーンです。

 

いよいよ具合が悪くなったとき、うちの人を呼ぼうかと尋ねるマドレーヌに首を振り、最後まで一緒にいたいと告げる玄三郎さん。

「だって、きみは僕の妻じゃないか」

この一言だけで、ああ、愛し合っていたんだなって分かりますよね。

いい夫婦だ。