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【書評】綿矢りさ『意識のリボン』

 

綿矢りさ『意識のリボン』 

意識のリボン (集英社文庫)

意識のリボン (集英社文庫)

 

 

 私から見た綿谷りさという作家は、頭と体が繋がっていない未知の生き物だ。頭だけ見ると私と同じ人間で、安心して近寄っていくのに、ふと体を見れば大蛇。そんな理解しがたさがある。物語に共感しながら読み進めていくと、主人公がある瞬間から私とは全く相容れない人物として浮かび上がってくる。その瞬間、「この人は私の気持ちを分かってくれない!」という反発心を抱くと同時に、深く傷ついてしまう。だから私は綿谷りさという作家のことを手放しに好きだとは言えなかった。そんな未知の生物・綿谷りさの輪郭を初めて認識できたのが、この『意識のリボン』という短編集だった。

『意識のリボン』は小説という形式をとってはいるものの、「これは綿谷りさ本人のことではないか」と思われる箇所がいくつか登場する。そのうちのいくつかは物語というよりも、語り手が自分の気持ちを整理するためだけに書いたかのような文章だ(タイトル通り「意識のリボン」のような語り口である)。これまで読んだ綿谷りさの "小説" からは見えてこなかった、綿谷りさ自身の輪郭が見え隠れする、ある意味生々しい短編集だった。

 

 綿谷りさに「裏切られた」と感じる理由の一つに、今まで一人きりで生きてきた主人公が、急に愛する(愛せる)人に出会い、他人と共に生きてゆく決心をするところにある。前半のぼっち満喫パートがリアルなぶん、後半の気持ちの変化のスピード感に置いて行かれたような気分になってしまうのだ。結局この人も恋愛至上主義なんだ、という冷めた気持ちを抱いてしまうのもそのせいである。

 けれどもそこで綿谷りさを「恋愛脳の作家」と軽蔑することはできなかった。ただ愛だ恋だと祭り上げるだけの作家とは違う、孤独への深い共感と恐れが文章からにじみ出ているからだ。でなければ「裏切られた」だの「分かってくれない」だのという、拗ねと甘えが混じったような感情を読者に抱かせることなどできはしない。これほど読者を自分の方へ引きつけられるのも、悔しいが綿谷りさの才能なのだと思う。

 

 話を戻すが、私は『意識のリボン』を読んで、綿谷りさの頭と体の繋ぎ目が見えた気がした。本書に収録されている「こたつのUFO」や「履歴のない女」では、変化を恐れながらも、常に新しい自分に変化し続けたい前向きな心持ちが描かれる。変化を恐れる背景には、あまりにもスムーズに変わってしまう自分への戸惑いと罪悪感がある。それから、これまでの人生で抱いてきた感情や習慣をあっさりと忘れてしまうことへの口惜しさ。私自身、就職を機に実家を出た際には同じような戸惑いを感じたために、主人公たちの気持ちがダイレクトに響いた。そうした戸惑いを、綿谷りさはこう振り払う。

 

「臆病になっちゃいけないね。大切なものを守りながらも、いろんな景色が見たい」

 

 綿谷りさの頭と体を繋いでいたもの、それはこの勇み立つような前向きさだったのだ。そしてこれは私自身が持つべき心持ちでもあった。変わることではなく、変われないことを恐れ、そして拗ねていた自分。綿谷りさという作家を知る中で、自分では気付かなかった弱さに気付くことができた。私が自分の生き方を好きだと思えた時こそ、綿谷りさを素直に好きだと言えるのかもしれない。

 

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